ダメ出しするダメなオタク

ソルシエ再々演とDVD待ってる

お誕生日おめでとう

今週のお題「あの人へラブレター」

 

推しさんお誕生日おめでとう。

ぴったりなお題ですね。

 

あなたに会ったのは2010年のこの日でした。

今までDVDの中でしか知らなかったあなたに直接会えてとても幸せだった。生身の人間をこんなに好きになるなんて思ってもみなかった。

 

テニミュというたくさんフィルターをかけて甘い目で見てもらえるブランドを本当に卒業して、さあこれからが本番だという時。

ドリライのあとの最初の仕事はたしか小説の舞台化作品。

生まれて初めて自分で何かのチケットを予約してすごく楽しみだった。初めて見た小劇場は全く知らない世界だった。

テニミュに出てた誰それというくくりで推し以外も見に行ったし、同じようにテニミュに出てたからと見にきてくれる人もいた。

そんなテニミュも2ndシーズン、3rdシーズンと進んでいく。

テニミュ出身者で有名になった人もいるし、それより沢山の人が引退していった。

推しの事務所はよく潰れる小さい所だった。良いとは言えない環境で懸命に頑張っていたけど、毎回舞台に来てくれるような濃いファンは減り、出演する舞台のサイズも小さくなっていった。

上から目線だけど、伸びしろがあるとはあまり思えなかった。いつか消えて行くんだろう。それまで応援してあげようと思っていた。

 

推しを追って数年め、私は舞台を観るのをやめた。

パイプ椅子もつまらない脚本も独りよがりな演出も色目を使う共演者もファン内のマウントも全て過去のものになった。

 

しばらくはブログだけは読んでいたけど、そのうちやめた。気づいたら引退してるかも知れないなと思っていた。

 

推しは引退しなかった。大きな炎上もなければ大抜擢もなかったけど、着実に実績を積み上げていた。

気づいたら引退どころか、シアタークリエに立っていた。アンサンブルではなく名前のある役だった。

いい記念になっただろうなと思っていたら、再演でもう一度あの舞台に立った。歓喜してチケットを買った。そのうちに別作品でまたそこに立った。これならオタク臭くないからとツイッターに上げるといいねがついた。


推しのことは好きだったけど、推しの名前を聞かれるのは嫌だった。「誰?知らない」という返事に傷つくのは耐えられなかった。

でも、もしかしたらいつか「知ってる!」と言ってもらえると日が来るかも知れない。そんな予感がした。

 

そして推しは日生劇場に立った。綺麗な衣装を着た写真を観ると目が潤んだ。よくここまで来たと感激した。喜んでテニミュを知る友人たちにふれ回り、みんなからおめでとうと祝われた。もう昔のように毎回は行けない、何公演も見れない、でも細く長く応援して来た事も推しのためになっていると思いたい。

 

いつか、と思っていた日が来た。

推し用とは別のツイッターアカウントで推しの出演舞台を観たフォロワーさんがいた。私の推しの事も覚えていてくれて感想をくれた。嬉しくて言葉にならない。私が好きな人のことを知っている人がいる。こんな幸せな日がくるとは思わなかった。

大きな舞台に出ればたくさんの人に見てもらえるんだと改めて感じた。そのポジションを手に入れるためにしのぎを削る人達がいる。ステージでスポットライトが当たるのは本当にごくわずかな人だけだ。テレビでは舞台のことを下積みと表現するのが嫌いだった。でもどれだけの人に見てもらえるか考えると、仕方がないのかも知れない。

100席未満の小劇場が埋められなかったあの頃はファンも辛かったが本人はもっと苦しんだはずだ。だからああよかったなと心から思った。あなたの頑張りは未来に繋がったよ。諦めずに役者を続けてくれてありがとう。

 

推しのことを好きだと言えてよかった。素直に自分の心を大切に扱ったからいまの私の幸せはある。好きなものを好きと言う勇気を与えてくれた推しは私の神さまです。ありがとう。

 

 

結論は分かってる気がするけどはっきりさせてきた

 この記事の続きです。

sayoma.hatenablog.com

 

新しい推しは可愛いしかっこいいし練習ひたむきだし(お金に困ってないし)上位互換すぎない?

と思うんですが、推しに見れなかった夢を新しい推しに見てるだけだなとこの時気付いたのです。でも実際にあちらを生で見たことないから分からないよね。じゃあはっきりさせとこ。ってことで行ってきました。

 

久しぶりに前日からドキドキして当日の朝は「むりーーしんどい!!しぬ!!!」となってた。こういうトキメキが推しにはない…でも好き。

 

遠いけど段差があって見やすい席。高かった。先日の推しの舞台3回分のチケット代がかかってる。推しと言いつつ安い席取ったんですけど。S席でも倍違う。

 

えっとですね。ただの愚痴なんですけどまわりの雰囲気が悪かった。拍手も歓声も冷めてて居心地悪い。テキトーに拍手するタイミングだからしてる時と素晴らしい最高でしたって気持ちがこもった時とあるじゃないですか。そのテキトーな拍手が多くて辛い。暖かくない感情が入ってない。あの空気に耐えられなかった。

後ろの親子連れもここは自宅じゃねーーんだよばーーーーーかってくらい喋ってた。小声だったらいいの?信じられない。多分映画館や劇場でも喋るタイプだ。上演中は口がきけない魔法かけたい。

 

そんな感じで楽しいような冷めてるようななんとも言えない雰囲気のなか新しい推しが登場した。

テレビよりもずっと真っ直ぐでかっこよかった。

でも推せるって感情ではない。彼が悪かったわけではなくて、環境とかジャンルとかが合わなかったんだと思う。

1公演の出演時間が短すぎる。出演者複数での演目が完成度が低い。全体的にだったからそういうジャンルなんだと思う。公演回数が短い。今年は取れたけどチケットが取れないことが多い。

色々な要素が重なって推せなかった。

 

推しは大きな舞台の脇役よりも小さな舞台でメインを張る仕事が多かった。同じチケット代ならたくさん見たい。

チケットが取れないジャンルはストレスが溜まるのであまり深入りしたくない。

同じ演技は見れないからこそ何度も見たい。

お金がかかる!!チケット代高いから1公演なら行けるけど土日3公演を東京大阪なんて無理!!一度で満足するタイプなら良かったのに。

 

なにより推しの上位互換はたくさんいても代わりになんかならない!!私は推しが好き!!!トキメキ少なくてもいいの!!

 

という感じでした。

結論が早めに出て良かった。


今日もやっぱり推しが好きです。

推しに飢えてない

推しはおよそ月に一度の頻度で舞台に立つ。ここ一年で環境が変わったけどそれまでテレビにはあまり出なかった。だから月に1度遠征すればすんでいたのでちょうどよかったんだと思う。

以前ちょっと無理かもしれないって思うことがあってしばらく離れてたんだけど、また見るようになった。でも前みたいに毎月見に行こうと思わないんだよね。なんでかなって思ったんだけど飢えてないんだ。最初のようにブログが更新されたらすぐに見るとかもうしてないしそれは悪いことじゃないとやっとわかったというか、無理をしない範囲でを追いかけるって言うのが自分の体にようやく染み付いたのかもしれない。

自分のペースと距離感をようやく掴んだ。その結果もう飢えてないんだよなぁとなんとなく思った。なんて言うかよく分からないけど、年齢を重ねたから昔のようにガツガツお肉が食べれないみたいなこととはちょっと違うんだよね。上質の良いものを食べたいみたいなそんな感じはあるんだけど量は減ってないっていうかむしろ増えてるっていうか。

あの人の舞台だけ見ていても私の中で埋まらないものがある。アニメーターや声優を目指す人に対してアニメだけ見ていないでほかの芸術に触れろってこういう事かと段々分かってきた。美術館に行ったり旅行したり本を読んで誰かと話して仕事で失敗したりそんな人生の積み重ねが人を豊かにするっていうのは何かそうなんだろうな、ってなんとなく腑に落ちた。

それでも何度でも見たい毎日通いたいそんな舞台がある。きっと人生の中で必要な期間なのかなって自分を納得させたりするんだけど5年後10年後振り返ったときどうなるんだろうなぁ。

 

好きで好きで依存とか信仰とかそういう域に達してるけど、全通しようと思わないし他に優先する事もたくさんできた。お金をたくさん出して空席を埋めるマナーの良いファンでいられた期間は3年もなかったけど、楽しかった。そして私の人生で必要な時間だった。

今度のテレビも視聴できない地域だけど応援してるから。茶の間にすらなれないけど、どうか成功しますように。あなたが思い描く道の先に幸せな未来がありますように。